はじめての南米
 

2006年7月、人知れずひとり日本を出国いたしました。



サンティアゴからバスで北上すること千五百キロ、
カラマという町にやってきた。
チリは南北に細長いので移動するほどに
景色が全く変わっていく。
吐くと白い息の冷え冷えとした首都とは打って変わって、
すでにここは砂漠の中。

もう六日も経っているのにサンティアゴでひいた風邪が
いっこうに良くならない。
夜行バスを降りてフラフラ。
荷物も盗られかける。
乗り継ぎのバスを待っていたらアメリカ人の
小柄なかわいい学生の女の子と仲良くなって、
一緒にさらに二時間先の国境の町
サンペドロデアタカマを目指した。
窓から射す日がきつい。
とりあえず彼女の後についていこうと思っていたら、
バスが着いたらどっかに行ってしまった。
タフだ。
俺フラフラ。

サングラスに鼻ピアスの兄さんとおばちゃんの
宿の客引きに捕まった。
値段や条件は同じらしい。
こういう時は迷わずおばちゃんの方の宿を選ぶ。
おばちゃんを選ぶと何かと特典があるのは世界中どこだって同じはず。

おばちゃんの後についてトボトボと歩く。
歩くと砂が舞う。
町は砂漠の中にぽつんとあり
見た感じ集落というくらいの規模で、
標高は二千五百メートルにあるらしい。

宿は少し街はずれにあったが、キレイで静かで落ち着いた。
なによりおばちゃんが親切で助かった。
のどが痛いと言ったらレモンを絞った水をくれた。
飲みながら、「さて、ここから国境を越えてボリビアのウユニに
抜けたいんやが行けるんかしら」と、言ったら、
「問題ないよ。車を手配してくれる代理店があるからあとで紹介するわ、
そこが一番良いわ。」ということだった。

日本語のガイドブックも英語のガイドブックも、
この点について良いことが書いてなかったので
不安だったのだが、とりあえず現地まで来てみるものだ。
標高五千メートル近いアンデスの山越え。



ホッとして昼間から寝たら、風邪もウソのように良くなった。
リラックスできるかどうかの問題だったよう。
さっそく翌日、おばちゃんの書いてくれた地図を持って代理店を訪れた。
話は意外なほどすんなりまとまった。
二泊三日の行程、4WDで隣国ボリビアに入る。
最終日にこの旅最大の目的地、ウユニ塩湖が待っている。


「あんた、なに人だ?」
「日本人ですわ。」
「そうか、日本人か。日本人はたまに来るよ。百人に一人だな。ほら。」
そうやって代理店の兄さんが名簿を見せてくれた。
確かにその中にはぽつりぽつりと、ローマ字で書かれた日本人男性の名前がある。
その最後の新しい欄に自分の名前を書きこんだ。


 その晩、宿でおばちゃん家族に辞書を引き引き、
アホな話をしていたらなぜかウケていた。
へぼスペイン語オンリーで、こんなに意思が通じるとは。
目的のわからない文法フェチなおばはんらに囲まれて習った
スペイン語市民教室とNHKテレビスペイン語のおかげだ。
この宿も日本人が来たのは二人目だそうで、
カタカナでみんなの名前を書いてあげた。

翌朝みんなに見送られ出発。
街はずれのチリ側のイミグレーションで出国スタンプを
押されたあと、車でただ広い道をすっ飛ばし、
山の中にぽつんとあるボリビアのイミグレで入国審査。
陸路で国境を越えたわけだ。
わかりやすいくらいにいきなり道路の舗装が無くなる。
けど、国境の匂いがするのはそれだけ。
山の中と言っても、日本みたいにクネクネと山道を登ったわけでも、
森があるわけでもない。
ただただ広く、空が抜けるように青い。雲もまったく無い。


そこで待っていたボリビア側の4WDに割り振られ、
旅行者のイギリス人の男子学生四人組と一台の車に乗ることになった。
運転手は現地の朴訥としたおっさんで、助手席には民族衣装を着た
インディヘナ(先住民族)のばっちゃん。
「スペイン語はできます?」とイギリス人の学生が聞く。
「いやー、まー、あんまり」と俺。
「そっか、良かった、実は俺らもあんまり分からないんです。 ハハハ」
正直、語学を自在に操るインテリ職業の欧米人に囲まれたらどうしようかと
思っていたのでホッとした。
日本語でも自分のことなど自信を持って話すこと無いのです。
その点イギリス人学生グループは、第二外国語ができなくて単位に困っていた
学生時代の友人たちそのままで、親近感がわいた。


さっそく道があるのかもよくわからない砂利の中を、
見るからに高そうな山々を眺めながら進みはじめた。
走り始めてからしばらくして、運転手と助手席のばっちゃんから
ビニール袋に入った葉っぱを勧められた。
コカの葉だ。
アメリカが目の敵にしているあのコカインの原料である。
そのままムシャムシャ口に入れる。
葉っぱそのものは別にトリップするわけではなく、
高山病の頭痛や疲労に効くとされるアンデスの民の伝統的嗜好品という感じか。


ラグーナベルデという湖で昼食。
助手席のばっちゃんのがトマトやらパンを用意してくれた。
ばっちゃんは料理係らしい。
そこでふと、そばにあった表示を見てビックリ!
すでに標高が四千八百七十メートルもあるらしい。
富士山の山頂よりも千メートル以上高い。


そこからさらに、ぽつぽつと湖や間欠泉のある中をひた走り、
ラグーナコロラダという湖のほとりの山小屋に入る。
フラミンゴがいた。
日が暮れると星が物凄いことに。
山の中での食事は学生のころの登山をやっていたときを思い出した。

朝方、頭がガンガン痛んで目が覚めた。軽く高山病か。
標高が高すぎて空気も薄く、息がなんとなく苦しい。
目を開けても真っ暗、こういう夜は長い。

六時に起き、二日目の行程が始まった。
さすがに寒い。
息が白い。
また昨日と同じような風景の中をひたすら進む。
もうどういう道のりを走ってきたのかよくわからなくなる。
空気が薄いせいか。
行って終わってしまえばそれっきり、すぐに忘れてしまうのか。


夕方、白い平原が見えてきて、そのすぐわきの山小屋に入った。
ウユニ塩湖。
男二十七歳にしてついに彼の地に来たようだ。
見渡す限り地平線まで真っ白。
ウユニ塩湖は世界最大の塩の湖で乾季の今は水が無い。
来ようと思えば本当に来られるものだと思った。
車で湖にの中に入り、ひたすら横切って町に抜けるのだが、それは翌日のお楽しみ。


夜は山小屋でイギリス人四人組と小屋のボリビア人の男の子とトランプをする。
英語で丁寧にルールを説明して貰ったゲームは、
なんのことはない「ババぬき」であった。



ラパスの靴磨き


大型車ダンゴ状態


ティティカカ湖


パンクしたバス


マチュピチュ


クスコの街で俺を連れまわした男、ジャスース


チリ・ボリビア国境の湖


ウユニ塩湖

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